かつては宮崎県最大の人口を有する都市であった延岡。
歴史は古く、慶長6年(1601年)に延岡城が築城されて以降、近世城下町として栄えたことを発端に江戸期から明治期まで城下町として発展します。
その後1923年から延岡は県内屈指の工業都市として発展、1939年には人口約9万1千人を数える大規模な都市となりました。第二次世界大戦後は延岡の工場は旭化成として再出発し、企業城下町として発展を続けます。
しかし徐々に経済力は衰え、1982年以降人口は減少傾向にあります。
地元商店会の会長さんたちに話を聞くと、昭和当時の賑わっていた街の様子の写真を見せながら当時の七夕での出来事を昨日のことのように語ってくれました。
しかし最後には「今ではもう難しいけれど」と諦めのコメント。街で触れ合った方は皆さん、同様に昔を振り返り思い出に浸るものの現在から未来への諦めが聞こえました。
一方で、地元の延岡商業高校では若い世代の積極的かつ自分の街への当事者意識と、未来への意思を感じることができます。
延岡の誇りを再び取り戻す。そのためには街の物語の「これまで」と「これから」をつなぐ必要がある。
そして「つなぐ」役割を担う地点に、使う人がいなくなり、次に使う人を待っている「空き家」があります。
空き家は、ただ外部の人間が手を入れて再生しても意味がありません。
空き家と街を分断しない。街の人が望む形に、街の人たちが手を入れて初めて空き家は再生する。
そしてその先に、新しい延岡の誇りがあります。
所在地 | 宮崎県延岡市山下町2丁目 (山下新天街アーケード出口付近の空き店舗) |
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アクセス | JR日豊本線「延岡」駅より徒歩4分 |
構造 | 木造2階建 |
専有面積 | 1階:約115平米 |
所在地 | 宮崎県延岡市山下町2丁目 (山下新天街アーケード出口付近の空き店舗) |
全国で課題となっている空き家問題。ここ延岡でもその問題は深刻ですが、2021年2月に延岡市は空き家活用株式会社と連携協定を結び、新たな空き家対策に取り組み始めました。
それが、延岡市出身のオリンピック・メダリスト・松田丈志氏にご協力いただく、この空き家活用モデルプロジェクトです。
空き家の問題というと、片付けや相続など手間がかかり大変、というイメージを持つ方が多いかと思います。
確かにそういった側面はありますが、実は空き家は可能性に満ちた場所です。
延岡のみなさまの手で生まれ変わり、そして延岡のみなさまが望む形で利活用される、さらに新しい人生や新しい挑戦を育む場所になる。今回のプロジェクトを通して、「空き家を早く活かせば活かすほど良いことがある。」というご理解が広がることを念願しています。
私は、ここ延岡で幼い頃から競泳の練習に励んできました。世界を舞台に挑戦するようになってからは、いつも延岡の皆さんの応援をエネルギーに変えて頑張っていました。そのエネルギーは私に誇りと困難に立ち向かう勇気を与えてくれたと思います。
かつては県内屈指の都市として発展し、賑わっていた延岡ですが、現在は人口減少や空き家の増加が進み多くの課題を抱えています。延岡で生まれ育ったけれど、進学や就職などのタイミングで県外へ移り住む人も多いのが現状です。
今回延岡の空き家再生プロジェクトの一員としてお声がけをいただいたときに、私を育ててくれた延岡という街、そして私の競技人生を応援しサポート頂いた延岡の皆さんに恩返しできるプロジェクトにしたい!と思い参加を決めました。
今回のプロジェクトを通して「これまでの延岡」と「これからの延岡」をみなさんと共に考え、みんなで延岡の過去、現在、そして未来をつなぎ、延岡と自分自身の誇りを再確認し、延岡を盛り上げるプロジェクトを作り上げていきましょう。
地元スイミングの練習環境に注目が集まり、ビニールハウス生まれのヒーローと称される。また、ロンドン五輪400mメドレーリレー後のインタビューで「康介さんを手ぶらで帰らせるわけにはいかない。」と発した言葉が2012年の新語流行語大賞のトップ10にノミネートされ話題に。
競技活動から引退後はJOCアスリート委員、日本水泳連盟アスリート委員、JADAアスリート委員、日本サーフィン連盟理事などを歴任し、スポーツの普及、改革に関わりながらスポーツジャーナリストとして執筆、講演、コメンテーターなど幅広いジャンルで活動している。